常識学という造語
まず初めに重要なことは、常識学を広辞苑で調べてもググっても出てきません。
なぜなら常識学というのは造語だからです。
政治について学ぶのは政治学、人の心について学ぶのは心理学、歴史について学ぶのは歴史学です。
確かにこれらは我々の周りではなくてはならないと感じるでしょう。
しかしながら毎日そこら中に落ちている常識についてもっと深く、時間を使って考えようとしないのはなぜでしょう。
それは常識というものはもはや考えようのない完成したもので、我々の無意識の中に落とし込まれてしまっているからです。
こうした常識は誰もの頭の中にある知識や経験として保存されているにもかかわらず利用することが少ないと感じます。
もちろんその常識には知らず知らずのうちに従っていますから、使ってはいるのかもしれませんが、思考するということはほぼありません。
そこでせっかく小さなころからたくさん学んできた常識に対して学ぼうとする動機付けということで「常識学」という名前を付けました。
では具体的にはこの学問はいつ使うのでしょうか。
それは何か発想力が欲しいときや、アイデアが思いつかない時などに
「常識学を使う」
とキーワードのように出てくることが重要だと考えています。
きれいな写真を見たときは「インスタ映え」とキーワードがあるのと同じ感覚で、自分の意識や、目の前に常識が登場したときには「常識学を使える」と考えてください。
常識学は『発想のツール』
単純明快な一言ですがとても重要な考えです。
常識という文字を見て、例えば会社の上司には敬語を使うという常識を思い浮かべるかもしれません。
確かに昨今世の中にはこのような常識が通用しない人が増えているからこそ常識を学ぶことが必要だと思われる方もいるかもしれません。
しかしそれは私の考える常識学とはずれてしまいます。
確かに常識を学ぶ必要は大いにあると思いますが、常識学を考えるということはあくまでも自身の発想の手助けをするためのツールということです。
「常識を学ぶ」 と 「常識学を学ぶ」
常識を学ぶ
前者の”常識を学ぶ”は辞書的に言うと「社会を構成するものが有していて当たり前のもの」となっているので、あるコミュニティーに属している人がみな持っていて当たり前のことを学ぶになります。
これは組織の一員になるために身につけなければならないことでしょう。
上司に「お前常識がないな」と言われたとするならば。
その時あなたが身についていないものは
- そもそもその会社では皆が当たり前にできていること
- 社会人なら知っていて当たり前の知識
などです。
こういった常識はあなた自身知らなかった、できていなかったということはそもそも頭の中にもなかったということになります。
知らないことはいくら意識してもできませんから常識はその都度学ぶ必要があるでしょう。
常識学を学ぶ
それでは本題の常識学を学ぶについて考えていきましょう。
後者の”常識学を学ぶ”は先ほど発想のツールといいましたが、すでに意識されすぎて『無意識』になってしまった常識を意識下に戻し、それを再考するということです。
すなわち常識学を学ぶ上では常識的なことはそもそも頭の中に入っていることが前提なのです。
しかし頭の中に入っている常識というのはもはや無意識になりかすんでしまい見えなくなっています。
常識学はそういった無意識になってしまっている常識を意識することで、そこからアイデアを練りだし新しいものや考えを生み出すツールとして活用するものと考えています。