自分は何をやっても続かない。
だから新しいことには手を出さない!
そう思ったことありませんか?
これは自分の可能性を大きく狭くしてしまっている可能性があります。
私自身も昔から少しかじってはすぐ辞めての繰り返しで、継続してできない人間だと考えていました。
こうしたどうせ続かないという考えは自分の常識です。
三日坊主のイメージ
三日坊主と聞いてどんなイメージをもちますか?
三日坊主ということは何をやっても長く続かないマイナスなイメージと思う人が圧倒的におおいのではないでしょうか。
ここでも常識が出てきました。
この三日坊主であるというマイナスのイメージは社会的常識として根付いています。
確かに三日坊主というのは世間的には良い印象は持たれないかもしれません。
何かやっては飽きて次のこと、また次のことをやっては飽きて次のこと。
何か一つを極められない人と思われてしまいます。
小学生にとっての三日坊主
では小学生の頃の自分を思い出してみましょう。
興味のあることに次から次に手を出してすぐに飽きては次の興味がわいてくる。
しかし多くの経験をして楽しかったこと、辛かったこと色々感じたことはありませんか?
その時自分が「自分は三日坊主だ…」と悲観的になったことがあるでしょうか。
自分の思い出す範囲では全くありませんでした。
確かに親には何か一つのことを続けられないといわれることは多々ありました。
しかしながら色々やっている当時を思い出すと無邪気に色々楽しんでいた印象しかありません。
そして昔から少しずつ手を付けたことは今でも覚えています。
そのおかげで幅広い知識を持っており、なんでもそこそこにできるようになりました。
それでも重要な何かを継続させ極めること
確かに色々なことができたとしても、何か趣味はありますかと聞かれて何も答えられなくなってしまうこともよくあります。
ただし継続させるためには本当に好きなことでなければなりません。
そういった本当に好きなことを見つけるためのモラトリアムだと思うのもいいかもしれません。
自分は今でも三日坊主に囚われず様々なことに挑戦しています。
そして今は他人の能力を最大限に使えるようなお手伝いをするべく、自分の考えを発信することが好きなことと発見できました。
三日坊主は自分を知るきっかけ
興味のあること、ニュースでみたことで面白そうなことがあれば実行してみる。
そして飽きてしまったり興味がないと思ったことはなかなか続かないものです。
その結果三日坊主と言われてしまいます。
スポーツ、娯楽、ゲーム、ファッション…世の中には数えきれないコンテンツがあります。
そのうちの一つが自分に当てはまらなかったわけです。
これは言い換えると自身の興味がないことを知ることができたということになります。
自分が本当に興味を持てることを探すということは同時に自分の興味がないことを探すということになります。
無知の知のようなことですが逆を知ることも大切なことだと思います。
三日坊主といわれるのは様々なことに挑戦しているからこそなのかもしれません。
三日坊主の上手な使い方
では三日坊主に少しプラスのイメージが持てましたね。
では友人、就活、面接試験、公の場で自分は三日坊主です!と公言できるようになりましたか?
いくら自分の考えが変わったとはいえ、社会一般に三日坊主はマイナスだという多数派の意見を一瞬で変えることは不可能です。
では自分自身の考えと社会の常識との間にできてしまったこのギャップはどうすればいいのでしょうか。
この社会の常識に自分が合わせる必要性は全くないと思います。
もちろんですがなにかしらの常識に従わざるを得ない状況が生まれることはあるでしょう。
そういったとき自分の考えを無理に通そうとすると良くない状況も多くあります。
社会の常識はなかなか変えられないが、自分の常識は考えて意識し始めた瞬間から変わり始める。
だからこそまずは自分の常識を意識下に置き、考え始めることが大切なのです。
三日坊主を解消する必要はなく、自分自身の三日坊主はマイナスという常識を解消する。
考えるときは常識学で。
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