なぜ人は常識に従うのか?従うことの理由やメリットデメリットは

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常識にはどのような種類があるのか

常識の種類を考えることによってなぜ人は常識に動かされるのか、そしてメリットやデメリットは何かを考えていきましょう。

ルールとして存在する常識

「赤信号は止まれ」というのは常識があります。

これは法律であり、すなわちルールです。

確かにこのルールですらこの先どうなるかわかりません。

「赤信号は渡らない」という常識ですら、自動運転が本格的に導入され信号の存在意義が消えてしまい「赤信号」自体が消えてしまえば止まれということも消えてしまうかもしれません。

このように人間の世界には法律というルールが存在し、小さなころから教えられるため体の中に染み込んでいます。

こうした法律も全世界共通ということはありません。日本では犯罪になることも世界に目を向けると犯罪でなくなることもあるでしょう。

こういった例は常識という性質よりもルールという性質のほうが前面になるかもしれませんが、こうしたルールも常識の一つであることは間違いないでしょう。

孤独にならないための常識

あなたの周りにリーダー的な存在の人はいませんか?それが社長であっても陰のリーダー的存在でも構いません。そしてその人に従っている人は多くいるでしょう。

私もその従う一員でした。その集団に従い、そこから外されないようにエネルギーを使い、気を遣います。

確かにこれはコミュニティーの常識として考えられるでしょう。

理由は多くあるかもしれませんが一つは、

「孤独を嫌うから」

だと思います。

孤独は精神的に辛いものです。だからこそ直接的なつながりでなくてもSNSなどでつながりを持ち安心感を得ようとします。

そうしたときにコミュニティーから排除されないためにもそこの常識に従うのです。

もう一つ挙げるならば「周囲の常識に従えば楽だから」ということもあるでしょう。

自分で意思決定をすることなく、自分の力で何か考え行動することなく、周りに従って生きていれば知らず知らずのうちに先に進める。

確かに周囲に合わせるということにもいくらかのエネルギーは必要となるでしょう。

しかし周りに何も基盤がない状態で何かを創り出し、自分がトップになり進めていくことはそれ以上に相当なエネルギーが必要となります。

だからこそこの常識に従うというのは生物の理にかなっているのかもしれません。

理屈じみた話になってしまいますが、生物はなるべくエネルギーを使わないように進化し、効率の良さを求めてきたはずです。

冬眠する動物は食べ物が少なくなる冬は穴の中にこもりエネルギーの消費を最小限にし生きる。

自分も周りに従って生きていれば何も考えなくていいと思っていました。これは生物としての本能なのかもしれません。

組織の一体感を生む常識

私は田舎出身であったためによく祖父母から「人と違うことをするな」「周りに合わせなさい」などよく言われていました。

現代になり物流が田舎にも安定して届き、不便な部分もあるかもしれないが問題なく生活できるという時代になりました。

しかし昔は今と違い厳しい生活があったはずです。そんな中で田舎の集落では一致団結し、厳しい環境の中で生き抜く必要があったはずです。

家で作った農作物を近所の人に分け与え、集落の安泰や豊作を願うためお祭りをし、老いたものには手を差し伸べるなど協力関係が欠かせなかったはずです。

保守的な考えの田舎では足並みを乱すことを嫌い、集落としての常識に従っていたはずです。

確かに孤独では生きていけないという点で先ほど述べたことに近いかもしれませんが、こちらは全員が協力していくという点でニュアンスが少し違うのではないでしょうか。

象徴としての常識

「日本」というくくりで考えたとき日本人たるものこうでなければという考えは多くあると思います。

「おもてなし」「もったいない」「わびさび」

これらは日本人であれば常識と思われているもので、日本人を象徴する言葉です。

これらの言葉によって日本人は日本人であるということができます。すなわち自他を区別できるという性質をも持ち合わせているといえるかもしれません。

権威の創り出す常識

地球が中心になって動いているという天動説はその説が存在する時代の常識でした。

その常識に立ち向かうことは権力に対して逆うことになりました。

だからこそ権威の創り出す常識に従うことは当たり前であったし、権力が作り出した常識であるからそれに間違いはないと思い、意義を唱える必要はないと多くの人は思っていたのかもしれません。

常識に従うメリット

孤独を回避できる

先ほども述べたように動物は孤独には弱いです。

そんな中で人間は周囲の常識に従うことで精神的苦痛である「孤独」を回避することができます。

コミュニティーの一体感を生む

企業や組織の経営理念などにあたることもあるかもしれませんが、その組織や集団に一体感を持たせるものとしての常識があります。

目標に向かってチーム全体で動き、成果を出すことができます。

「おまえは非常識だ」といわれることがあるとすれば、そのチームの一体感を乱してしまう結果になることをしたからだといえるでしょう。

この場合「常識を学べ」言われる大きな所以はここにあると思います。

エネルギーの消費を抑えられる

個人での意思決定、創造などの機会を減らすということは莫大なエネルギー消費を抑えることができるでしょう。

逆に従わない場合は相当なエネルギー消費が必要となります。

常識に従うデメリット

意思決定力の衰え

このデメリットは人間に特有のものといえるかもしれません。それは人間が意思決定できる動物だからです。

自分を取り巻く常識に従うことが常になるといざ自分一人で意思決定をしなければならなくなった時どうしていいかわからなくなってしまうのです。

自分もよくありましたが、周りに合わせて生きてきた結果他人に趣味は何ですかと聞かれても困ってしまうことがよくあります。

意思決定するためのエネルギー消費を抑える代わりに、意思決定できる人間の能力自体が少しずつ退化してしまっているのかもしれません。

創造力の衰え

これは常識学において重要な部分であるといえるかもしれませんが、アイデアや創造力といった部分も常識に従っているばかりでは衰えてしまいます。

「これは常識だから」「あれは当たり前」と思考することなく鵜呑みにしてしまっていると、人間の持つ宝物である「なぜ」が衰えてしまいます。

アイデアや創造力というのは身の回りにゴロゴロと散乱しているはずなのに、知らず知らずのうちに見えなくなってしまっています。

様々なコミュニティーがありますが、例えば広く「日本」というくくりで考えてみましょう。日本人たるものこうでなければという考えは多くあると思いますが「おもてなし」「もったいない」「わびさび」。これらの言葉は日本人であれば常識と思われているものです。これらの言葉によって日本人は日本人であるといえるのかもしれません。すなわちコミュニティーに一体感を与え、自他を区別するという性質も持ち合わせているといえるかもしれません。

まとめ

ここまで多く常識の種類、従うメリットやデメリットを考えてきました。

もちろんこのほかにも多く常識に従う理由はあるかもしれません。

それは常識というのは時代、コミュニティーによってさまざまであるからです。

何か常識を発見したらなぜ自分はその常識のレールに乗っているのかを考え、いったんその電車から降りて考えることが大切だと思います。

そしてその電車から降りた駅こそ常識学という駅になるのです。

その先どんな電車に乗るか、はたまた改札を出て全く違うルートを進むのか。それはあなた次第なのです。

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