常識とは何か

常識学を考える

常識の意味とは何だろうと考えることで常識学の汎用性をより一層深めていきたいと思います。

常識の辞書的な意味

常識という言葉があまりにも常識過ぎて辞書で調べようと思うことがないのではないでしょうか。

それでは実際に辞書的意味を見ていきましょう。

一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。「常識がない人」「常識で考えればわかる」「常識に欠けた振る舞い」「常識外れ」 [補説]common senseの訳語として明治時代から普及。

デジタル大辞泉

さてこの意味からいくつかの言葉を抜粋しながら考察してみましょう。

“一般の社会人”

まずは「一般の社会人」というワードから考察することにしましょう。

ここから考えられることは常識というものは特殊な人だけが持っているわけではないということです。

社会人と定義されているのは「社会人たるもの常識を持っているもの」という言葉からきているのかもしれません。

もちろんですがあなたの中にも無数の常識は眠っています。

すなわち常識とはだれが持っているものかと考えるときは、特殊な才能を持っている人だけでなく誰もが持っているということが重要です。

“知識・意見・判断力”

次に見ていくのは「知識・意見・判断」です。

これが意味することは常識の範囲が限定的でないということです。

常識というのは我々が考えるもののほとんどに存在し、目の前には常識の海が見渡す限りにあるということです。

例えば何か目の前のものを手で持ち上げて放してみてください。

質量のあるものであれば万有引力の法則に従って下へ落ちる

この法則名なんて言うものは知らなくても物が落ちていくということさえわかればよいのですが、これはもはや常識です。

小さな子供はモノを落とすと壊れるという常識がまだまだ身についていないためにものを落としてしまったりするのかもしれません。

すなわち常識があらゆるところに存在しているということです。

常識の解釈

ここまでは辞書を引用してきましたが、見落としていることがあります。

この説明だけで常識を解釈してしまうと日本中、あるいは世界中の人が共通して持っていることだけが常識となってしまいそうです。

すなわち常識の存在する場所はどこなのかということを見落としてしまいそうなのです。

では存在し得る常識の存在場所を見ていきましょう。

自分の中にある常識

これは常識学の汎用性をより一層高めてくれることです。自分だけに通用する常識。これは固定観念ですが。

「自分はこれができない」

「自分はこうあるべきだ」

など様々ですがこれは自分の常識といえるでしょう。

それではもう少し存在範囲を広げてみましょう。

コミュニティーの常識

これは一般的な常識の存在場所だと思います。

「会社のルールを守る」

「学校の規則に従う」

何かしらのコミュニティーができればおのずとそこには常識が生まれてくるものです。
これは誰かが考えてはっきりとできる場合もあれば自然にどこからともなく発生し暗黙の了解となることもあるでしょう。

常識の存在による人間の行動

次に存在する常識に対して普段我々はどのように対応しているのでしょうか。

「赤信号は止まれ」「目上の人には敬語」「エスカレーターの立つ位置」

こう言った常識は慣れるまでは意識して行っているかもしれません。


しかし慣れてしまえばこうしなければいけないとわざわざ意識しません。

自然に行動に出てしまったり、ルーティンワークになっているものです。

我々の中で常識というのは無意識のうちに実行されているのです。

この無意識という点が重要な点です。

成立して以来変化せず存在する常識は我々の中に浸透し、知らぬ間に無意識化してしまうのです。

自分は田舎出身ということもあり小さなころからエスカレーターは左に立って乗る(暗黙の了解)ということは知りませんでしたが、今では何も考えず左に乗っています。

このように常識というのは習慣のようにいつの間にか体に染みつき、その存在すらなくなってしまったかのように感じます。

しかし実際には染みついた常識の通りに思考、判断、行動をしています。

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